お宝発見! 渋谷でMLBグッズ タワレコで洋楽隠れ名盤シリーズ
NIKEのブースを発見
クイズに正解するとバッグをもらえるというので、早速列に並んでみたが・・・
シカゴカブスのある選手の盗塁数を当てる問題
見事に外し、バッグはもらえず新聞をもらう
うーん、カブスの選手あまりよく知りません
確かに隠れた名盤です
名盤と言うより、名曲ですね
レコードは持っていたのですが・・・
懐かしいですね
店員さんに尋ねると13時30分、48番という整理券を渡される
待ち時間で美術展を観て、再びお店へ
大人の箱買い
平和島温泉で
永井豪氏は原作のみ
こちらもアニメ化されました
仮面の忍者赤影
こちらもテレビドラマ化されました
シングル・マン 1976年(オリジナルアルバム)
会場は、東京霞が関にあった久保記念講堂
このホールは1984年に閉館
バンドとして最も勢いのある頃の1枚
スタジオからもその熱気が伝わってくる
「トランジスタラジオ」などを収録
RCの大傑作にして物議を醸した一枚。
その名の通り、海外の名曲に日本語の詞をつけた作品。
原発反対の歌詞に、当時所属していたレコード会社が難色を示し、別の会社からリリース。その後、清志郎の憂慮が現実になったのは周知の通り。
「明日なき世界」で清志郎が叫ぶ。
「でもよォー 何度でも何度でも おいらに言ってくれよ
RCサクセションとして最終作
タイトルや歌詞にバンドの終焉を感じるのは、気のせいか
※所有しているのは全てシングルレコード
他に「夏の十字架」「秋の十字架」も
「君が代」を収録
1982年
化粧品CMとタイアップ
やっと入手!
Hot Rats: 50th Anniversary (6CD)
レコードサイズの箱を開けると・・・
中身はブックレット、6CD、フランク・ザッパのボードゲーム、ギターピック
未発表ものも多く収録したCD✕6
謎の?ボードゲーム
こちらが1969年発表のオリジナルレコード
フランク・ザッパのホット・ラッツを初めて聴いたのは高校生の時。友達から、他のザッパのアルバム勧められたが、イマイチだった。そして出会ったのが、このアルバム。そのサウンドは衝撃的だった。
今回購入したのは、2020年に発売された50周年の記念バージョン。高価なので躊躇していたが、今回無事入手。未発表音源も多いので、じっくりと聴いていきたい。
久しぶりに渋谷のタワーレコードへ
Frank ZappaのHot Rats: 50thAnniversaryとDavid GatesのGOODBYE GIRLを探しに来ました。両方ともネットでは見つからないので。前者は6枚組で値も張るので買い控えていたら、入手困難に。後者は最近映画を観る機会があって欲しくなりました。
今回入手できたのがこちら。David Gatesの4つのアルバムをまとめたもの。値段もそれなりでしたが、クーポンに背中を押されてゲットしました。
こちらも気になります
先日梁石日氏が亡くなりました
ご冥福をお祈りいたします
こちらは平岡正明氏による梁石日氏についての評論集です
「梁石日は世界文学である」 平岡正明 1995年
平岡正明氏は政治、音楽の分野で活躍した評論家です。
70・80年代にはニューミュージックマガジン(現ミュージックマガジン)誌上などを中心に、独自の音楽論を展開していた同氏。その当時発表して話題になったのが「山口百恵は菩薩である」当時大学生だった自分にはあまりピンとこなかった覚えがある。
「平岡正明著作集(上・下巻)」が出版されたのをきっかけに、同氏の著書を探してみた。
上巻は革命、下巻は音楽についての評論集
入手困難になる前に急遽購入
2005年刊行の単行本を文庫化
海峡に立つ:泥と血の我が半生 許 永中
かつて平岡正明はこう言った。「梁石日は世界文学である。世界文学とは何か。帝国主義の内と外を描き上げる文学である。」さて、許永中である。彼の中にあるのは、圧倒的な肉体の存在である。生身の男の物語だ。彼の武器はその身体のみである。ノンフィクション?事実は小説より奇なり。その生き様には、誰もが圧倒されるであろう。海峡に股をかけて歩んだ軌跡。それは正に「帝国主義の内と外を描き上げる文学」そのものではないか。彼は今、海峡を挟んだ朝鮮半島に住む。その目にはどんな景色が映っているのだろうか。
「黒人大統領誕生をサッチモで祝福する」 平岡正明 2008年
サッチモ、ニューオリンズ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。バラク・オバマとの接点とは?
窮民革命のための序説『水滸伝』 1973年(初版本)
平岡正明・竹中労共著
こちらはヤフオクで4800円の値段が付いていました。
さあ、もう一度読み直してみましょう。
こちらは竹中労氏の特集
第6弾 オーディオ青春記 ~パート3 大学編~
大学に入学した私。
そこには洋楽好きそしてオーディオマニアが多く集まっていた。友人の自宅や下宿にレコードを持ち寄り、音楽談義に花開かせたものだった・・・
この頃オーディオマニアに衝撃を与えたのが、ソニーのウォークマンである。何せ巨大なセットを要したステレオ再生を、小さな筐体が実現してみせたのである。(今の携帯端末に較べれば大きいが)みんなが、これを持ち歩き音楽を聴くことに憧れたのだ。私もご多分に漏れず購入、旅行などにも携帯したものだった。
初代ウォークマン(1979年発売)
ウォークマンと並んでこの頃のオーディオ界で話題になったのが、貸しレコード店である。このビジネスが大当たりし、瞬く間に店が増えていった。レコードを安く借りてカセットテープにダビングして聴くのが、当時のスタイルだった。大学最寄り駅前にも開店し、何度も利用した。
その頃借りたレコードは、後でCDで買い直したものも
私の大学時代つまり70年代後半から80年代初めに、ニューウェイブという音楽的なムーブメントが起こった。イギリス発の新しい音楽に、私も魅せられたのであった。
一方、コンサートにも度々足を運んだ。ほとんどは来日公演だった。
サンタナ 1977年の公演 日本武道館
こちらはまだ高校時代
1979年 サンタナとエディ・マネーのジョイント 武道館
1979年 アースウィンド&ファイアー 日本武道館
ライブは特に79年、80年に集中して行っている。その後、一度足が遠のいたのだが。ローリングストーンズの来日まで、それから10年の年月を要するのであった。
将来のことなど何も考えずに、大学生活を楽しんでいたあの頃。当然そのツケを後で払う羽目になるのだが。
第5弾 オーディオ青春記 ~パート2 高校編~
前回まで・・・
高校2年生になった私、新しいステレオも手に入れロックに目覚めていく
ロックを聴くきっかけは、NHKFMで夕方放送していた番組だ。週ごとにアーティストを特集し、アルバム丸ごとかけていたので、エアチェック(カセットテープに録音すること)には最適な番組だった。何しろ少ないお小遣いの中でやり繰りしていたので、レコードはめったに購入できない。なのでカセットテープ代だけですむエアチェックは、貴重な手段だったのだ。
カセットテープも各社から様々なものが発売されていた。値段もピンキリで、高価なものは気に入ったアーティストの時だけ使う。また録音したカセットテープやケースに曲名を書いたりイラストを入れたりして、独自のテープ作りをするのも楽しみ方の一つであった。
FMレコパル(復刻版 2014年)
そんなエアチェックを手助けしてくれる心強い味方がFM雑誌だった。雑誌の巻末にあるFM番組表とにらめっこしながら、エアチェックする番組を決めていく。番組表以外にも、音楽やオーディオ関係の記事を読むのが楽しみだった。時にはカセットテープやケースを飾るためのイラストなどが付属することもあった。全盛時には4誌もあったというから驚きである。ちなみに自分は毎回FMfanと週刊FMを書店で立ち読みして面白そうな方を買い、たまにFMレコパルを買うというスタイルだった。各誌ともそれぞれ特徴を生かし、記事作りを工夫していたようだ。
FMfan(最終号 2001年)
FM雑誌の番組表
FM放送以外にも、AMラジオで流れるヒットチャート、音楽雑誌などが情報源だった。
こうした情報を元にして、本当に欲しいレコードだけを購入していた。
中学生まではシングル盤を買っていたが、ロックを聴くようになってからは、アルバムがメインになった。
レコードは国内盤の方が高価で、徐々に輸入盤を多く買うようになった。買うのはもっぱら渋谷にあるレコード店である。渋谷には多くのレコード店があり、それぞれ特徴があった。
その頃よく聴いていたサンタナのアルバム
この頃行った修学旅行は、山陽・山陰方面だった。新幹線で行った。自由行動でふと本屋に立ち寄った自分は、こんな本を購入した。確か松江だったと思うが。
自分としては当然の買い物をしたつもりだったが。周りの反応は、予想しないものだった。
「わざわざ修学旅行でこんなものを買わなくても」と家族に笑いものにされたのだった。お土産に萩焼も買ったんだけどねえ。
こうして高校生活を満喫していた私だったが、次の大きな壁「大学受験」がせまりつつあることを、徐々に感じ始めていたのだった。
すいません。まだ続きそうです。
次はパート3大学編へ・・・
第7話 オーディオ青春記 ~番外編 高校部活編~
今回はお宝やオーディオとは全く関係のない話です。ご了承ください。
高校に入学した私。運動不足解消を図り、門を叩いたのが山岳部であった・・・
安易な気持ちで入部したが、練習は結構キツかった。自分より重い先輩を背負い、階段を上がるトレーニング。ランニングではかなりの距離を走る。初めての山行ではバテたが、徐々に山登りにも慣れていった。
新1年生を迎え、我々2年生が部活の中心となった。多摩川へのランニング時には、ボールを持参しサッカーに興じた。夏休みには部室前にテントを張り、調理をすることもあった。かなり変わった奴らとみられていたのだろう。
そしてこの年の秋、我々は体育祭での部活対抗リレーを目前にしていた。山岳部も毎年出場するが、重い登山靴を履き、背中には大きな荷物を背負い、リレーではお笑い担当が定位置だった。
ふだん無口なFが、突然口を開いた。「今年はああいうのやめよう。」一同「?」返事をせずにいるとFが続ける。「勝ちに行こう。登山靴も荷物もなし」Fからの突然の提案に驚きつつも、私はもしかしたらと思い始めていた。今年入ってきた1年生は元陸上部、サッカー部など健脚揃い。私と同学年のFはサッカーでは名の知れた中学の出身。「いけるかもしれない」
そしてリレー当日。1走には陸上部出身の1年生Mを起用。バトンにするのは重いリュックではなく、短いペグ(テント固定用)。Mは期待通りの走りを見せ、並み居る運動部の中3位で戻ってくる。次走は私。ペグを受け取り走り出す。思ったより足が軽い。いつの間にか練習で脚力をつけていたようだ。順位をキープし3走のOへ。3走で順位を下げるが、4走はサッカー部出身の1年生S。加速したSは1人抜き、さらに前を走る野球部との差を詰めていく。焦った野球部はバトン代わりのボールを遠投し、大きくそらしてしまう。それを尻目にSは、確実にアンカーのFへペグを手渡す。我々の前にいるのはもう陸上部のみだ。Fは必死で陸上部を追う。しかし差は縮まらず結果は2位。「あー、もう少しだったのに」と悔しがるF。しかし我々の中には満足感が漂っていた。
第4弾 オーディオ青春記 ~パート1中学編~
中学生だった私。短波ラジオを操りベリカード集めをしたり、ラジカセで邦楽・洋楽のヒット曲を録音して楽しんだりしていたのだが・・・
この頃ラジオでよく聴いていたのが、カーペンターズやサイモン&ガーファンクルなどのポップス。映画音楽やポールモーリアなどのイージーリスニングもよく聴いていましたね。
そんなとき出会ったのがステレオだった。
その初めてのステレオ体験は衝撃的だった。
従兄弟の家で聴いた、レコードだった。サイモン&ガーファンクルだったか。実は我が家にもレコードプレーヤーはあったのだが、モノラルであった。スピーカー付きのポータブルタイプというやつだ。
当時ポータブルレコードプレーヤーで聴いていたレコードです。「虹と雪のバラード」は札幌五輪のテーマ曲でした。
これらは全てシングル盤。ドーナツ盤などと呼ばれ、盤の中央は円形の空洞になっていました。(ソノシートは別形式)
巨人の星
懐かしいソノシート
天地真理!
ビニール袋には川崎銀柳街ムツミ音響と書かれています まず圧倒的に音量がちがう。そして左右のスピーカーから出てくる音が、それぞれ異なるのである。ラジカセやポータブルレコードプレーヤーで聴くのとは、全くちがう音がそこにあったのである。
その音に魅せられてしまった私は、さっそくステレオが欲しいと親にねだるのだが、おいそれと買ってもらえるものではない。
そんな我が家にもついにステレオがやってきたのだ。しかしそれは新品ではなかった。親が一計を案じて、親戚から不要になったステレオをもらい受けてきたのだ。一時期はやった家具調の一体型ステレオだった。レコードプレーヤーが中央に組み込まれ、左右には二つのスピーカーを持つその筐体は、やたら大きく我が家のかなりのスペースを占めていた。初めのうちは喜んでステレオを楽しんでいた私だが、だんだんとそのステレオでは物足りなくなってくる。
やがて受験勉強を経て、無事高校に入学した私。
新しいステレオが欲しいという私の願いが実現したも、高校時代であった。
当時のステレオのトレンドは、セパレート型である。アンプ、スピーカーなど別々に買い、組み合わせていくのである。近所の第一家庭電気(通称ダック)で揃えたのは以下のようなラインアップであった。
アンプ:トリオ、レコードプレーヤー:デノン、カセットデッキ:ティアック、スピーカー:ダイヤトーン
高校生活はやはり中学のそれとはかなり異なるものだった。約1分だった登校時間もバスと電車で約1時間となった。友達も市内全域から通ってくる。世界がより広くなったという感覚だった。
当分受験勉強にも縛られることなく、私はしばしの自由を満喫することにした。山岳部に入り、体育祭では応援団も務めた。
そしてロックミュージックに本格的に目覚めていくのも、この頃だったのである。
お宝発見!第3弾はベリカードです。
正式にはVerification Cardで、日本ではベリカードと呼ばれています。
ラジオ局(主に短波放送)に受信したことを連絡すると、このカードが送られてきます(来ない場合もあります)こうした一連の活動はBCLと呼ばれ、1970年代に日本でブームとなりました。
さっそくどんなものか見てみましょう。
ラジオオーストラリア(シグナルはワライカワセミ)のベリカード
裏面(表?)はこんな感じでした
BBC(英国放送協会・シグナルはビッグベンの鐘)のカードです
受信した日時などが入っています
ラジオモスクワのカードと番組表です
番組表の中に「ソビエト便り」という文字が確認できます。政治的なプロパガンダという意味もあったのでしょうか。
日本の放送局のものもあります
当時(1970年代前半)自分は中学生。ソニー製スカイセンサー5800というラジオで、短波放送を聞いていました。つまみを使い周波数を合わせ、かすかに聞こえる海外からの電波を捉える。その瞬間のドキドキ感は今でも忘れられません。
海外への連絡はエアメール。折り返しベリカードが来たときはうれしかったです。(来ないときはがっかり)
中学生の私は、遠い国から聞こえるラジオや送られてきたカードを通して、世界を見ていたのでした。
世界の放送局ガイド
ムック本ですね
当時のハウツー本です
「世界のベリカード」
こちらの本はAmazonで1万円から1万5千円の値がついていました。というわけで、今回はこれをお宝認定です!
今回のお宝はガンプラです。
家で積みプラになっているものを、引っ張り出してきました。
是非ご覧ください。
こちらはANAとのコラボ、メガサイズガンダムです
パーツもかなりのボリュームです
ANA仕様のデカールも付属しています
ANA・GUNDAM JETです
こちらももちろんANAとのコラボです
ANAの機体と小さいガンダムが見えます
ANA仕様のデカールです
これらのコラボ商品は実際にANAに乗車し応募券をもらって、申込制で購入するというものでした。
おかげで旅行で何度かANAを使うことに。
こちらは静岡にガンダムが立っていたとき、見学時に購入したもの。箱絵に富士山が描かれています。
こちらも静岡で購入したもの
中はこんな感じ
ガンダム建設時の様子を、6種類の食玩で再現するというマニアックな内容です。
食玩なので一応ガムが付いています。どっちがおまけなのかよく分かりません。
こちらはLINKIN PARKという音楽グループとのコラボ
ちゃんとCDも付いています中はこんな感じ
グループのメンバーの一人がガンダムファンで、このコラボが実現したそうです。
山下埠頭にあったガンダムファクトリーヨコハマです
こちらは入場者に配布された非売品です
ジャイアンツとのコラボ
ビームサーベルをバットのように振り回しています(笑)
パーツもオレンジが多め
こちらはガンダムではありませんが。
プラモデルの製造機械をモデル化したものです。
こちらはクリアパーツバージョン
ガンプラくんです
パーツもかわいい感じです
エコプラシリーズ
ザク、ガンタンク、ガンキャノンです
このシリーズは箱絵がモノクロ、塗装も単色になっています。
水星の魔女シリーズ
エアリアル、ダリルバルデ、デミトレーナー
アニメもおもしろかったですね
ザクの戦闘セット
ザクにタンクとワッパという乗り物が付いたお得なセット
改めて見てみると、レアなものや今購入できないものも多くありました。
品薄にならないように、バンダイさんにもがんばってもらいたいものです。
急に大藪春彦を読みたくなり、本棚の奥を探していると・・・
「蘇える金狼」
野獣死すべし 大藪春彦 光文社文庫 2024.1.20
Tシャツの季節ですね
チャンピオンのTシャツは最近よく買います
こちらはピザ店とのコラボ。ピザの箱に入っていました。
こちらもチャンピオンのNFLシリーズ
2019年ラグビーワールドカップ 記念T
決勝戦 南アフリカVSイングランド
ラグビーブレディスローカップ
ニュージーランドVSオーストラリア
プライドグランプリ 2005 in 埼玉アリーナ
アントニオ猪木T
コメント
映画としては原作とは逆に、「蘇る金狼」→「野獣死すべし」の順でした。
「蘇る金狼」のサウンドトラックをどこかの中古屋で見つけて今でも持ってます。
シンガーは元ペドロ&カプリシャスの前野曜子(高橋真梨子加入前の初代ヴォーカルで「別れの朝」歌っていた人)なんですよね。
その流れからが、「野獣死すべし」にも前野曜子がちらっと出演してます。
でも、印象的だったのは小林麻美が松田優作に射殺されてしまうシーンなのでした。
「野獣死すべし」は文庫で持っているはずです。
「蘇る金狼」のサントラ、気になりますね。「別れの朝」は印象的で、また聴きたいです。
この頃は小説と映画だけでなく、そこに音楽も加えたメディアミックスがあったことが、よく分かりました。「人間の証明」「時をかける少女」「セーラー服と機関銃」などですかね。
自分が初めて買ったEPは尾崎紀世彦の「また逢う日まで」でした。
正月の町田で、街頭で売られてたやつ。思い返すとバチもんで、とある組織の方がこっそりと売ってたんでしょうね。
ベリカード、懐かしいです。
自分もなぜか短波放送の入るラジオを持っていたので、モスクワ放送などに送りました。
たぶん、学習雑誌あたりがベリカードの記事を載せてたんだと思います。
ピョンヤンの放送を受信したので、送りましたらちゃんと帰ってきたというのが思い出です。
惜しいことにこれらは処分されていると思います。
Breadのリーダーというところまでは存じてますが、曲はたぶん聴いたことがないです。
渋谷のタワレコはいいですよね。品ぞろえ、日本一です。
わたしゃ、この前新宿に用があり、タワレコ新宿店でStyxの「♪ドモアリガト、ミスターロボット」なんてのがあったので、すかさず購入いたしました。
タワレコ町田店には絶対置いてないです。
さすがに「マグマ大使」は見ましたが、マモル少年がのちにフォーリーブスで出てくるとは。
RCと清志郎はほぼ持っていて、被ってますね。
『Please』の中ジャケがメンバー入れ替わりで、確か清志郎が付け髭で小林和生の位置でベース抱えていたような記憶が。
旧店舗にもよく行きました。
今回お買いになったあたりのものって、興味を持っていたものの、資金的に無理だったなんてあたりですね。
なので、このあたりは見つけ次第手に入れるようにしております。
Playerですが、ベスト盤を持ってます。
Bee Geesの所属していたRSOレコードにいたんですよね。
そのBee Geesの「愛はきらめきの中に」を引きずりおろして「Baby Come Back」がビルボード1位になり、またBee Geesの「Night Fever」が1位になるとかで、その間にAndy Gibbとかイボンヌ・エリマンとかも1位になるという、RSOおよびディスコヒットの続く年でした。
渋谷のタワーレコードに行くと、いろいろと欲しくなりますね。
Baby Come Backは1977年ですね。この頃は一番洋楽を聴いていたときです。いまだに懐かしくCDを買っては聴いています。